理解ではなく認めて欲しかった
外出して車を運転しながら、現況をいろいろ考えていて、
自分の行動がとても窮屈な状態にあるのはなぜかと考える。
家に居たくない。
それはなぜか?
部屋のせいか。
家族のせいか。
自分のせいか。
といろいろ考えていて、先日受けたリーディングの続きのような事を感じた。
私は、理解されたかったわけではない。
理解したようなふりをして、後から理解できないしょうもないことをやっていると悪口のようなものを言われるくらいなら、無関心でいてもらうほうがいい。
理解したようなふりをするのなら、理解はできないけれど、やりたいのならやれと認めてほしかった。
理解したふりは、それを一生続けられるのならいいと思うけど、結局どこかでばれるのなら、理解しなくてもいいから行動は認めてほしいと思う。
こちらの勝手な言い分なんだろうけれど、理解できない事を理解したふりをするのは、究極の裏切りではないかと思う。
理解したふりをされるのはもうゴメンだ。そう思って私は行動を一切言わなくなった。
それが今も続いている。
それが自分の行動範囲をとても狭めているのがわかっていても。
そんなことを考えて、運転しながら泣いていたわけだが…
事が起きたのはもう何十年も前の事だから、いまさら脳内でしか処理できない。
相手にそれを言っても理解されないことには変わりないし。
相手が言う事を信用しない自分がいるので、してもしなくても同じと思ってしまうし。
自分の行動を変えていかなければならないと思っている現況で、これが大きなネックになっているのはわかっている。
でもやはり言う気にはなれない。
今はこれに気づいただけ良しとしておこう。
(つって、先送りしてんだよなー。それもわかってんだけどさ…(-_-;))