シについて思う

海へ行きたくなる時は。

 

単純に夕陽がすごそうだなと思った時。

気持ちが落ち込んでいる時。

辛い時。

 

気持ちを切り替えたい。

 

たぶんそんな感じで海に向かっているのだと思う。

 

今日も帰宅前に海が見たくなった。

海までの道中には、シについて考えていた。

 

最近若い年代の人のシをいくつか目にして(仕事柄そういった事を目にすることがあるので)、何故彼らはすべてを閉じて逝ってしまうのだろうかと考える。

私自身、もうずいぶんと前から生きることにあまり積極的ではなく、時々訪れる谷底の状態になると、何もかもぶん投げて終わりにしたくなることがあるという状態なのだが、勝手なもので人の事となるとそれはまた別の話となってしまう。

少しだけ目線を変えられなかったのだろうか、とか。もう少しなんとかならなかったのだろうか、とか、思ってしまう。

 

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生きて何があると言う訳ではなく、生きてさえいればいい事があるなんて言葉は無責任すぎて言えないのだけれど、

でもこんな夕陽を見ることが出来るのは生きてこそなんだなと、夕陽と人様の子供のはしゃぎまわる様子を見ながらぼんやりと思ったりする。

 

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 生きるって何なんだろう。

人としてここにいて生きていくって何なんだろうと、良く考える。

ここに意識のある生命体として生まれて、100年弱を生きるという事。

何故なのか。この繋がる事のない連鎖は一体何なのか。どこから始まってどこで終わるのか。

それを知りたいと思っている。

答えのない問い。

 

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そうか…

選択を迫られたとき、結局私は生きることを選び続けている。

生きることを選び続ける。

それもまた良しという事。