「恋と国会」から思った事[ネタバレするよー]
久しぶりに西炯子氏の本を買いました。
恋と国会…
ええ?と思いましたが、評価が高かったので買ってみました。面白かった。
政治家一家のボンボン福太郎と地下アイドルから国会議員になった一斗のお話。
国会がなんであるのかを軽妙に描いていて面白いです。
デフォルメはあるんだろうけれどそうズレてもいないような気が。
これを読んでいて、ふと、学校で国会の事って習ったっけ?って思いまして。
政治の事…社会の授業とかで三権分立とかどうとかこうとか(おぼろげ)習った気がしますけれど、国会の構成とか政治がどうとか、習わなかった気がします。
忘れているだけかな?
今はどうなんだろう?
そういえば時々生徒が国会を模して何かをしている映像を見たことがある気がする。
国会とか政治とか、小中高でしっかりと学ばせたらいいと思うんですけどね。
政治離れがどうとか言いますけど、そもそも知らないという事が離れる原因の一つなんじゃないかと思うし。
あともう一つ。
この中に「無戸籍」という問題が出てくるのですが、出てくるのは1ページにすぎず、この言葉も2回くらいしか出てこないのですが、
「日本には1万人以上いると推測される」
と書いてあるところがあって、ええええ???ってなりまして。
無戸籍…いろんな事情で戸籍が無いまま成長している人たちがいるという事なんですが、日本で生まれて、両親が日本人で、日本で育って、って人が、出生時に届け出をされていないがために無戸籍者になるという。
親が生きていれば後から戸籍に入れることも可能なんだと思うのですが、親も死んでしまったり行方が分からなかったりすると、その人が何者なのかが確定できず戸籍を取得することが出来ないという…
その人が何者なのかを証明するって、なんなんだろう。
その人はその人としてそこに存在するのに、その存在を証明するための証拠が無ければ国民として認められないって事ですよね。
浦澤直樹さんのmonsterに、昔いろいろとヤバいことをやっていた黒幕的存在の人が年老いて、周囲の人々が死んでいき、「もう私の事を知っている人は誰もいない。私を私として証明できる人は誰もいない」というようなことを言っているシーンがありましたが、
人の記憶と残っているデータのみで個人が特定されるという事であるなら、データが失われ、記憶を残している人もいなくなる(または年数がたちすぎて記憶が失われたり、当人が変わり過ぎて記憶と合致しなくなったり)と、もはやその人は存在しているにもかかわらずその人であるという存在を証明できなくなる…
なんと脆弱な事か…
どうにかならんのかこの問題。
もっと内に目を向けることは出来んのか…
ここ2,3日、こんなことばかり考えていました。
あまり軽い感想じゃなくてすんません。
前記しましたが、話の内容は面白かったです。
若い世代の議員が日本の将来の姿を討論しあうところとか、軽く書いてはいるけれど実際には重いテーマだし。
この先どうなって行くんでしょう。一斗は総理になれるのか?!w
次巻にも期待です。