補完について考える

ひとりで完璧な人はおらず、世の中の色々な人たちは互いを補完している。

でもそれにしても補いきれずに中途半端なんじゃないの?って思ったら、

「補完はいつも完璧」という答えがどこからか来た。

 

そーなんかなー…

補いきれてないと思うんだけどなー

と思いながらも、

 

以前ヒューマンデザインを受けたときに、私にもともと備わっていないものは、それを持っている人々とすれ違うだけでも補完してもらえるらしいことを言われて、

それを聞いてから、知らない人たちとの集まりにいることが少し苦ではなくなりました。

 

補完されているかどうかはわからないけど笑

 

でもそうやって補完にこだわる言うことは、私は完璧になりたいという事なんだろうか。

自分にはたくさんなにかが足りないと思っているんだろうか。

 

まぁいろいろと欠けていることは確かなんだけどね…

 

そう考えるとあれだよね、ビッグオーの物語なんて、まさに補完の物語だわ。

パックマンみたいな形をしたビッグオーが、自分の欠けた部分を探して旅をするという外国の絵本ですが、

でも補完されたビッグオーが、幸せになったのかよくわからないんだよね…

 

補完されないと安定していないようで不安になる。

でも補完されて完璧になったとしても幸せかどうかはわからない。

さて…本当に補完は必要なんだろうか…

 

…あ、すみません。

なんだかとりとめのない不審な呟きになってしまった。

時々こんなことを考えて迷宮に入ったりしています(笑)